10月25日(月) 快晴

 妻と7時前に家を出る。天気は全国的に穏やかな快晴で申し分無し。下の娘は高三だが、夫婦で一緒に家をあけるのは始めてとあって、やや心配である。
 小田急町田駅7時10分。急行は通勤時間帯で混んでいたが、ややピークを外れているのか、すし詰めと言うまでには至らずに済んだ。
 指定券は8時52分発のやまびこ7号。40分前には東京駅に着いていた。一緒のツアー仲間の人数もメンバーも盛岡に着くまで不明であった。新幹線の車窓から、日光連山、那須連峰、吾妻山などを眺めながら、10時45分大宮以来の停車駅である仙台に着く。東京駅から2時間足らずだ。盛岡までの途中停車駅は一関と水沢江刺のみ。一関で大きい団体が降りた。中尊寺にでも向かうのだろうか。妻はほとんど眠り続けていた。水沢江刺までは、数回出張で来たことがあったが、それから先は未知である。水沢江刺付近からは焼石連峰が見えた。結婚した年に妻も含む山の会の仲間と、登った思い出の山だ。約20分後の11時44分。やまびこ7号は盛岡駅のホームに滑り混んでいた。自分達と同じツアーの目印、気球型のバッチを付けた二人の女性客が降りるのが分かった。
 ホームには背の高い中年の運転手さんが待っていた。結局、落ち合ったのは4名。だが、運転手さんの話しでは、3人の客が乗り遅れているとのこと。1時間後に着くので、ツアー最初の観光場所、盛岡市内の地酒醸造所で待っていて欲しいとのこと。
 ワゴン車タイプのジャンボタクシーは補助椅子(1名分)も出すと、乗客定員9名。7名のツアーにはぴったりという感じだ。タクシー会社は十和田タクシーだった。


 市内を流れる北上川を渡る車窓からは、南部富士の名のある岩手山の端正な形が綺麗に見えた。車は、県庁や市役所のある中央通りに入り、盛岡地方裁判所の門を入った玄関前の駐車場に止まった。裁判所・・・? ツアーの案内には無いし・・?? すぐガイドも兼ねている運転手さんの説明で理由が判明。玄関前の庭、駐車場の対面に石割り桜という名木があるのだそうだ。
なんと、長手方向が7,8mもあろうかという楕円形の花崗岩が真中でパックリ二つに割れていて、その割れ目を押し広げるように、葉が黄色に紅葉した大きい桜の木が生えている。後でガイドブックを見ると、樹齢350年のアズマヒガンザクラの古木だそうだ。運転手さんの話しではその昔は南部藩の武家の屋敷であったところとのこと。花の時は随分人が集まるそうだ。しかし、どうしてあの巨大な石と言うより、岩に言えるほどの花崗岩が割れて真中に桜の木が育ったものか? さらに言えば、割れていなくても、現代の重機でさえ簡単に動かせる代物で無いような巨石がそこに存在しているのか。その答えはわからない。



 ともかく謎は謎として、ツアーがタクシーで行われるメリットを早々に感じた。大人数の大型バスの観光では立ち寄れない所にも機動性の良さで、行ってくれるようであった。
 写真を撮ったりして、5,6分して地酒の醸造所に向かい、発車した。
 裁判所を出た車は、市役所や盛岡城址の公園前を通り、中ノ橋通りを市街地の外れに近くまで走り、右折して広い境内を持つ盛岡八幡宮の前を通り抜けてすぐの地酒醸造会社の前に停まった。
 間もなくタクシーは遅れた3人を迎えに駅に戻り、4人は醸造会社のガイドの女性に付いて工場見学となった。この清酒醸造メーカーは、「あさ開」という名の吟醸酒で有名とのこと。普段、飲酒に無縁な自分と妻には、ピンと来ない。狭い公道を挟んだ建物が、仕込みの工場だった。4階から見学が始まった。ごく僅かの銘柄のみ、昔ながらの醸造法を採るそうで、いくつかの小部屋に設備が並んでいる。そちらでの作業は行われていなかった。しかし、工場の大部分はオートメーションの巨大な設備が締めていた。麹の攪拌なども当然、人手では無く機械の作業だ。最後にできた清酒が入る1階から3階まで突き抜けている巨大なタンクの蓋部分だけ見た。容量の説明を聞いたが、正確には忘れてしまった。毎晩1合ずつ飲んだら数百年というような話しだったように思う。工場内には、酒の匂いが漂っていた。仕込みの工場を出て、先ほどの道を渡って戻った建物がビン詰め工場だった。昼食時間で機械は動いていなかったが、これも自動機だ。春、見学したKビールの鶴見工場の機械よりは規模は小さいものの、ビンの搬送ラインなどは似た感じがした。仕込みの工場からは公道の地中に埋設してあるパイプラインを通って清酒が送られて来るのだとのこと。
 工場の敷地の中には、土産物店とレストランがあった。新幹線の電車の中で昼食を取り損ねた私達二人は、「飲み物でお付き合いします。」という二人とレストランに入った。メニューはおよそ清酒会社とは無縁で、パスタとかトーストとか、飲み物もアルコールはビールであった。トーストを食べることにしたが、これは喫茶店などで出されるトーストと同じようなものは無く、選んだのは海老を乗せて揚げたものだった。味は良かったが、何分ボリュームが無い。満腹には程遠かった。

 食事の後、同じ建物の壁を隔てた土産物店に移った。見学メニューに組み込まれている清酒の試飲もした。しばらく、見て回るうちにタクシーが遅れた3人を乗せて戻った。3人とも女性客で、中年の姉妹とそのお母さんだった。後で妻から聞いた話しでは、成田の方の人で余裕のある高速バスで東京に向かったのに渋滞に巻き込まれて間に合わなかったのだとのこと。ちなみに、始めから一緒の二人は伊勢原と秦野の友達とのことだった。結局、7人のメンバーは3組で自分以外は皆女性であった。


 遅れた3人の工場見学は無しで、出発することになった。ここからは、陸中海岸の宮古市の浄土ヶ浜に向かい、国道106号線をひた走りになる。盛岡の市街地を抜けると直ぐ山間部に入った。山は少し色付いているが、紅葉の最盛期にはやや早い。例年より一週間は遅れているとのこと。これは、逆に最大のポイントである奥入瀬渓谷や十和田湖の紅葉がベストであることを意味していた。

 北上川の支流と宮古湾に注ぐ閉井川の分水嶺のトンネルを越えたのは、2時頃だった。盛岡側は山に登って行く感じの道路だったが、トンネルを出るとなだらかな高原が広がっていた。区界高原である。宮古に向かうJR山田線の線路が現れ、道路と並行していた。川井村のこの地区は酪農と高原野菜の産地であるが、人家はまばらであった。しばらく走ると、高原地帯は尽き、谷合に下って来た。やはり最盛期には早いが、紅葉が綺麗なところがある。
 相変わらず、単線のJR山田線の線路が並走しているが、列車はお目に掛からない。運転手さんの話では、「何度もこの道を宮古に走っているが、列車に遭遇するのは稀だ。」とのこと。時刻表を見たら区界駅を通過する列車は一日4往復しか無い。道理である。途中、5名ほどの保線区員が作業をしていた。とても線路に関わる人達の人件費を賄う収入はあるとは思えない。典型的な赤字路線であろう。
 川井村の役場のある地区までは区界高原から約25kmも離れていた。ここから5kmほどでやっと川井村を抜ける。間もなくJR山田線の更に支線の岩泉線が分かれている茂市駅の近くを通過した。ちなみに、こちらは一日僅か3往復の列車しかない。ここは新里村の端で、川井村の境界から直線距離8kmほどで宮古市に入る。茂市駅を通過した後、山田線のディーゼルカーと始めてすれ違った。間もなく徐々に平地が広がったと思ったら、直ぐ宮古市の市街地であった。
 ここまで、盛岡から国道106号線を95km走って来たが、盛岡の市街地から宮古の市街地の間、交通信号は皆無だった。途中、北上山地の中を南北に走る国道340号線と交叉しているが、一部は106号線に吸収されているため、三叉路が川井村と中里村の2箇所にある。しかしこの二つの三叉路も信号の記憶が無い。所々で道路の補修や拡張の工事が行われており、時限一方通行の個所が数カ所あった。そのようなところでの停車のみであった。そのため2時間足らずで95km走って来た勘定だ。

 宮古駅を過ぎると、1kmほどで宮古港である。高い堤防があってそれ越しに船のマストが見えたりするので、「海岸に来ているんだな」と知れるが、何となく海岸らしさが無い。リアス式海岸のため幅1kmほどの宮古湾を挟んで標高456mの山を持つ閉井崎が見えるからであった。車は宮古港の海岸の入り江をU字状に回り、大型自動車では通行できそうに無い坂道を上り始めた。これは、浄土ヶ浜への近道であった。

 車は尾根を乗り越えて浜に下った。尾根の上に違う方角から広い道が来ていて、駐車場もあった。「ここは白ナンバーの車は入れないのです。」という運転手さんの話。車を降りたのは、中ノ浜であった。「ここから海岸線の遊歩道を歩いてください。車は先に回しています。」とのこと。
 時刻は3時20分だった。中ノ浜の入り江は左右は岬が出ており、正面も入り江の直ぐ先は、左側に岩礁列を従えた松林の乗った島があり、隙間からしか外海の太平洋は見えない。岬も島も周囲は岩壁で上に松の緑があるので絵になる光景である。季節のためか夕方に近いためか観光客の姿はまばらであった。
 盛岡からの長い乗車であったため、まずは一斉にトイレに向かった。土産物を売る茶店から呼び込みの声が掛かる。「昼のトーストは食べた気がしなかった」という妻は、焼きお握りを買い込んで、歩きながら食べ始めた。買い物の間に5人の仲間は先を歩いていた。
 小さな岬を回ると、更に見事な岩礁列が入り江の先に連なっていた。松林の冠のある大きい物、鋭く尖った岩礁、たった一本だけの松の木がある岩礁。それらは一見独立した岩礁のように見えるが、海面上に僅かにそれらを繋ぐ岩が出ていた。海は透明度が高く、ゴミが漂っているようなことも無い。短い秋の日は大分傾いて、入り江は日が翳り岩礁に山の影が投影されていた。
 この浄土ヶ浜の名の由来は、約300年前に定安寺の住職だった霊鏡和尚という人が、「さながら極楽浄土のようだ」と称えたものと言う。15分ほど、写真を撮りながら歩くと、広い駐車場とレストハウスのある岩礁列で外海と仕切られた入り江の最奥部に着いた。タクシーの運転手さんが待っていた。直ぐには乗車せず、見事な景色を眺めていた。入り江の入り口の方から観光船が外海に出て行くのが見えた。運転手さんが、「間もなく岩礁の向こうを通りますよ。」と言う。カメラを構えてシャッターチャンスを待った。間もなく白い観光汽船が褐色の岩礁の額縁の間を通過した。船の周りにはウミネコが群がっていた。船客が餌を与えるためで、そのための餌が売られているとのことであった。

 運転手さんが「鮭が川を上るのを見たことがありますか?」と問う。メンバーの誰も見たことがあると答えた人はいなかった。浄土ヶ浜を発つ時のことであった。「田老で見られるかも知れませんよ」ということであった。浄土ヶ浜を出た車は、しばらく走って国道45号線に出た。浄土ヶ浜から11km程走り、田老町で港に向けて国道から外れた。田老港には小さい川であるが田代川が流れ込んでいる。河口に近い橋の上で車を停めた運転手さんが、降りて川面を見て戻ると、自動ドアが開いた。鮭を捕獲するために、橋の直ぐ上流側に柵が作られていて、田代川を遡行しようとしていた鮭が止められて、橋脚の周りを群れをなしてグルグル回っていた。体長は5、60cmくらいだろうか。中に一尾2箇所ほど鱗が割れて肉が見える鮭もいた。重傷のように思えるのだが、普通に泳いでいた。生きている鮭を映像以外で見たのは始めてだった。

 4時を過ぎていた。鮭を見終えた後、車は国道には戻らず、港をぐるりと半周し、うねった坂道を上って行った。上り切ると、海を臨む断崖の上で止まった。
 そこは山王岩という名勝の展望台だった。海岸から数十メートルのところに、3つの岩礁があった。ひときわ目立つ中央の岩が男岩で、海面から垂直に50mほどの高さの岩が切り立ち、頭は松の緑が覆っていた。左右の岩礁は女岩と太鼓岩で、高さは男岩の半分ほど、こちらは緑は付いていない。展望台の方が高いので見下ろす格好だ。
 カメラを向けたのだが、大失敗であった。レンズキャップを外し忘れていたのだった。

 山王岩から3kmほど、車は坂道を下り一旦海岸に出て右折し、また少し上った駐車場に停車した。そこは真崎の展望台であった。遥か浄土ヶ浜の方が望めたが、直ぐ近くの海岸風景が素晴らしい。足元の海岸にはいくつかの岩礁、そしてところどころ松の木を付けた岬の岩壁がそそり立っている。日が落ち、海面には残照が反射していた。時計は4時半になろうとしていた。我々のツアーメンバー以外誰もいない。記念写真を撮り真崎を後にする。

 車は海岸に引き返し、しばらく海岸に沿って走ったあと、再び坂道を上り、台地の上に出た。陸中海岸のこの辺りは、ほぼ平坦な台地が海岸に至ってスパッと太平洋に切れ落ちている。この地形が独特の海岸美を作り出しているようだ。また海に注ぐ川は、台地に深い谷を刻んでいる。
 国道45号線に戻るまでの道は舗装はされているが狭く、小型車でもすれ違いがあったら難儀しそうな道であった。観光バスを使うツアーだったら、山王岩も真崎もカットだったのではなかろうか。真崎には田老からバスがあるようだが、所要時間15分の道を引き返すことになる筈であった。

 摂待の集落を通過するとき、駅に三陸鉄道、北リアス線を走る3両編成のディーゼルカーが停車しているのが見えた。レトロ感覚の緑色に塗られた車両で、観光客には人気があるとのこと。
 この後、完全に夕闇になった。国道を行き交う車は少ない。渋滞という言葉はおよそ無縁である。「まだ名所があるのですが・・」と運転手さん。しかしもう景色は全く見ることができない。ガイドブックには、熊ノ鼻展望台とか鵜の巣断崖などが印されていた。小本で地底湖で有名な竜泉洞に入る国道455号線を分けて約8km走り、国道から外れた。間もなく道はうねりながら、谷に下り始めた。二車線の道であるが、道路の照明は無い。闇の中にガードレールの小さな丸い反射板が点々と連なる。トンネルの中だけに照明が点いていた。
 5時半頃、港に面した10階建てのホテル羅賀荘の玄関に滑り込んだ。難しげな名前であるが、地名を取ったのだそうだ。このホテルは、現在は無料になっているが、有名な景勝地北山崎を通るシーサイドライン有料道路を整備した時、宿泊施設が無いと言う声が出て作られた半公営のホテルなのだそうである。

 8階の部屋に案内された。部屋は当然ながら、3組のそれぞれに割り当てられていた。鍵を開けて部屋に入ると真っ暗闇である。電灯のスイッチの在処も分からない。他の2室も同様であった。「フロントに行って話して来ます。」と言ってエレベータで降りた。「済みません。点いたと思います。」との返事をもらって引き返す。どうやらメイン電源を落したままだったらしい。お茶を煎れて茶菓子を味わう。ベランダは海に面しているが、ほとんど光りは無い。
 左は羅賀魚港であるようだが、やはり暗い。やがて、満月が海に淡い光を反射しながら上ってきた。
 6時半から、広間で夕食であった。一行7人には広すぎる部屋であった。でも食事の方は豪華な献立であった。ツアーのパンフレットには、特選「浜人料理」と書かれていた。品書きは次のようなものだった。

  海鮮   囲炉裏焼き  陸中産帆立貝他三点
  珍味   まんぼう酢味噌
  お造り  海の幸四点
  鍋物   田野畑産 鴨鍋
  陶板焼  三陸産 鮑の踊り焼き
  小鉢   陸中産 ほや酢の物
  冷やし鉢 季節のお刺身
  お食事  南部産 親子飯
  浜人汁  漁師風 あら汁
  止め椀  陸中産 どんぐり蕎麦
  酢の物  いろいろ
  水菓子  季節物

囲炉裏焼きと、鍋物はその場で固形燃料を使ったコンロで仕上げだった。本当に満腹であった。あら汁の味が素晴らしい。またどんぐり蕎麦は、薄緑色をしていたが、これも美味であった。

 食事帰りに土産物売り場で数点を買った。久慈琥珀の宝飾品が特別コーナーに並べられていたが、綺麗だなあと感心するだけ。財布の中身がまるで釣り合わない。最後に地元、田野畑のごまアイスクリームを買って部屋に戻った。布団敷かれていた。すり潰したごま入りのアイスクリームは結構美味しかった。
 その後、妻が自宅に携帯電話をして娘の様子を聞こうとしたのだが、圏外であった。妻は下に下りて電話を掛けていた。
 9時頃、大浴場に行った。海を望む浴場だがそこに光は無い。入ったとき、誰も居なかった。一人で入るには広すぎる大浴場だった。月曜日でもあり、宿泊客も少ない様子であった。湯には温泉の成分を加えてあってヘルストン温泉という掲示がしてあった。浴槽の中に泡マッサージのできる所もあった。
 床についたのは、11時前頃だった。



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