学校の先生

JASRAC
作曲者 大川 久光
作詞者 山上 路夫
MIDI制作 笹山 朝生 公開調整 MOMO
データ作成日 2007.6.17
データサイズ 18.9 KB
コメント 1974(S.49)年、元来は歌手志望だったという“コント55号”の坂上二郎さんが歌った曲です。
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[語り] みなさん、このたび、このクラスを受け持つことになりました坂上です。
    仲良くやりましょう……。
    「古ダヌキ!」マイッタなこれは。


  小さな町の 中学校に はじめて来たのは 春のこと

  あれからいくたび 校庭に 桜の花は 咲いただろう

  教えた子供は 数え切れない

[語り] 安江は、生徒会費もなかなかはらえない 貧しい家の子供でした。
    秋の遠足の時でしたか、私は安江のために、お菓子を少し買っていったことがあります。
    彼女はお菓子を持って、目にいっぱい涙をためておりました。 いまも忘れておりません。
    しかし、今は元気に工場につとめ、夜は定時制高校に通っている安江。
    「生きていることは楽しい」とこの間来た彼女の手紙に書いてありました。


  生まれた時は 誰でも同じ 裸で産声(ウブゴエ)あげるのに

  子供の時から それぞれに ちがった道を 歩き出す

  私の力じゃ どうにもできない

[語り] 孝夫は、非行少年でした。 悪い仲間と付き合って、学校にもなかなか出てきません
    でした。 私も、何度か説教しましたが、聞くような子じゃありません。ところが
    ある日、彼が何人かの少年にかこまれて、喧嘩をしているところに出会いました。
    私は孝夫をかばいましたが、映画のようにかっこよくはいきません。
    たちまち少年たちに、なぐられたりけられたりして、わたしはのびてしまいました。
    「先生、あんまりかっこつけるんじゃねえょ」孝夫はそう言って、私に肩を
    かしながら家まで送ってくれました。 それからです。孝夫と仲良くなったのは。
    今でも時々家に遊びに来ます。運送会社につとめているそうです。

  小さな町の 中学校に いつしか月日は 流れてく

  今年も近づく 卒業が 蛍の光に 送られて

  巣立ってゆくだろ 教え子たちが

[語り] 洋子という子は、大変頭のよい子でしたが、早く死にました。
    結婚をして別れた子もいます。酒場づとめをしている子もいます。
    大学受験を三回も失敗した子もいます。どうも幸せな子より不幸な子の方が、
    よくおぼえているようです。
    考えてみると、人間てやつは、誰だって多かれ少なかれ、不幸を背負って
    生きているようです。 より良い明日を願って一生懸命生きているものの
    ようです。
    みんな負けるなよ、みんな負けるなよ、と私はそっとつぶやくだけです。