10月27日(水) 曇り

 予定通り6時に起床する。妻はまたしても、暖房が効きすぎていて眠れなかったと言っていた。外は、やや暗い。TVを付けてニュースを見る。天気予報は残念ながら下り坂である。八幡平まで降らずに済んでくれれば御の字であろう。
 7時に朝食を食べに下る。フロントの横の土産物売り場の脇には、宅配便の箱が山と積まれていた。朝食はやはりバイキングであった。当然指定席ではなかった。二人連れの仲間が、近くの空席を合図してくれた。ここは和食のみであった。7時頃が混雑のピークで、しばらくするとやや空席が増えてきた。
 8時15分頃、出発という打ち合わせだったが、8時10分前頃部屋を出て、ビールの精算も済ませることにした。二人の仲間は既にロビーでくつろいでいた。
 フロントに精算に行った妻が、「運転手さんが来ていて挨拶をしましたよ。」と言う。ロビーのガラス越しに見ると、昨日まで乗ってきたのと、同じ形のジャンボタクシーが停車していた。早めに荷物を積みこむ事にした。白髪の優しげな運転手さんだった。
 カメラは、宿に着くと直ぐに充電をしておいた。今日は電池切れにしないようにモニタの使用は控えようと思う。運転手さんが「撮りましょうか」と勧めてくれたので、緑水閣の看板の前に行って妻と並んで写してもらった。
 宿の横が国道で、それ越しに湖畔に並ぶ木の隙間から十和田湖の水面が見えるが、空は濃い靄が覆っていて少々暗い感じだ。予定より少し早めの出発になった。ジャンボタクシーは、外観は同じであったが、内装品が少々違っていた。前の車には無かったVTRのモニタが天井に付いていた。


 出発の際、運転手さんが「乙女の像を見に行きますか?」という問いを投げかけたが、「船から見たので行かなくてもいいです。」というのが、メンバーの答えだった。宿から発荷峠に向かうのと、乙女の像がある中山半島の付け根の方角は、正反対であった。国道103号線は湖畔に沿ってを和井内というところまで行き、そこからつづら折りの道を一気に外輪山を越す発荷峠(ハッカトウゲ)に上がる。緑水閣を発って13分、車は発荷峠の駐車場に停まった。高曇りだったので遠望が効き、八甲田の山並みも見えたが、残念ながら十和田湖の上は雲海のような靄に被われていた。僅かに和井内の西の方の一部だけが、靄が薄れていて湖面との境が見えた。遠く見える対岸の外輪山まで10km、改めて十和田湖の大きさに感心する。

 発荷峠からの下りの道は比較的緩やかだった。大湯川のところまで下ると、八戸市から三戸町、田子町を経て来る国道104号線と合した。少し川に沿って下ると中滝が大湯川に掛かっていて運転者さんが「停めて見ましょうか」と言ってくれたが道路の幅員が狭く、後続車があったので、メンバーの方が遠慮した。そこからまた少し下ると、鮮やかな赤と濃いピンクのカエデの木が10本程まとまっているところがあった。ちょっとした広場もあったので、車を降りて見ることになった。カエデの木から少し離れたところに、案内板があり止滝と書かれていた。道路からは見えなかったが、大湯川の40mほど上流に滝が掛かっていた。川のほとりに下りてみた。滝口が左右に分かれ、それが合わさるように滝壷に落ちている。高さは7,8m位か。両岸は紅葉であり、結構見栄えのする滝であった。川下もまた先のカエデの一群が枝を流れの上に伸ばしていて、美しかった。

 大湯温泉が近づくに連れ、平地が徐々に幅を増す。見える近く山の紅葉の色付き具合は、樹相と日射の関係で一様ではない。「ほら、あそこ」というような声が聞こえたりする。9時に近くなって、大湯温泉に差し掛かろうというところで、車は国道から右に直角に折れ、山の端まで来ると坂道を上り始めた。観光りんご園の案内看板がいくつも出ている。しばらく坂道を上ると、りんご園が広がり始めた。坂の上は河岸段丘なのか、平地が開けていたのである。少し先の右の方に、大湯温泉スキー場があり、リフトの鉄塔が見える。いくつかのりんご園の一つ、「富士園、大湯もぎとりりんご園案内所」と書かれた建物の前の駐車場に停車した。ここも「歓迎○○ご一行様」の札が建物に掛かっている。その札は5枚程であった。りんご狩りの後で見たら、経営は地元のバス会社の秋北バスと書かれていた。
 建物に入ると、土産用のリンゴと菓子の売店になっていた。先ずはリンゴ狩りをということで、案内所のおじさんが、りんご畑に一行を連れて行った。いくつかの品種のリンゴがたわわに成っていたが、球はあまり大きくないが真紅の実が付いている木の近くに行った。「これはレッドゴールドというリンゴです。お一人様2個だけもいでもらいます。で、リンゴの木を傷めないために、実を下に引っ張らないようにしてください。枝の方向に実を横にする様にすれば簡単にもげます。」という説明をして一個もぎ方を披露して見せた。アルミの脚立が2台準備してあった。2個なので、品定めをして取ったがすぐに終りである。私は歯が悪いのでできなかったが、仲間がすぐ丸かじりを始めた。妻も同調する。蜜がたっぷり入った甘そうなリンゴだった。建物の中では異なる品種のリンゴの味見や、リンゴジュースのサービスをしていた。即売のリンゴは箱詰めであった。仲間が「箱では要らないが、少し買って行きたい。」と申 し出る。では1個100円でということで、またもぎ取りに行った。私と妻だけが残った。
 我が家には、毎年12月近くに信州の実家から叔母の家で栽培したリンゴ(フジ)が送られてくるが、子供達はあまり食べず、自分も家にいる時間が短いこともあってもて余し気味なのだ。最後には実の締まりが無くなって来るので煮込んでしまう。ちなみにこれは子供も喜んで食べる。
 売店で干しリンゴをチップ加工したものなどの土産を買った。

 40分ほどで、車のトランクに仲間のリンゴの袋を加えてリンゴ園を後にした。車はスキー場の下を通って大湯温泉の下流に下った。温泉の町をバイパスした感じになった。しばらく国道を十和田南駅方向に下ると、左折して国道から離れ、少し走ると車はまた左折、妙な方向に向いたなと思う。リンゴ畑の中の道を通過する。ここ鹿角市は、この十和田タクシーの地元である。当然、道に詳しいはずであった。リンゴは道路から手を伸ばせば、いくらでももげそうである。でも地元の人は決してそんなことはしない。私も学生時代、長野市郊外のリンゴ畑の多い地帯の学寮で一時期を過ごしたが、同様であった。車は程なく大湯温泉と花輪を直接結んでいる県道の交叉点に出て右折した。

 途中、縄文時代の遺跡があり、竪穴式住居の復元工事をしているところがあった。道路を挟んだ反対側も広範囲で発掘工事が進められていた。中に環状列石があった。祭事に使われたのか、墓として作られたのか、文献の無い時代のことなので不明と言う。鹿角市では遺跡公園として整備し、観光の呼び物の一に加える計画とのこと。運転手さんの説明だった。
 これを書いている時に、インターネットで鹿角市の情報を検索をしていたら、こんな記事があった。環状列石から2kmほど離れたところに、黒又山という整った三角形に見える山があるが、山に人工的に手を加えた形跡があり、ピラミッドではないかと言われており、本も出版されていると書かれていた。「あれ?その関連の本は確か・・・」。本棚を探る。「日本にもピラミッドが実在していた!!」山田久延彦氏の著作の新書版徳間ブックスが出て来た。長野市の松代にある皆神山のことを中心に書かれた本であったので、興味を引いて購入していたのだった。黒又山に関する記事もささやかに出ている。登山道に露出している地面は砕石を混ぜて人工的に作られた地層のようだということが写真入りで書かれている。

 道は再びリンゴ園の中を走る。花輪の近くまで来て東北自動車道と立体交叉した。やがて県道は、JR花輪線と並行して走る国道282号線に出て終りになった。国道を少し走り、大きなドライブインでトイレ休憩をした。

 国道282号線は米代川を渡るとT字路になった。左が盛岡に向かう282号線の続きである。車は右折し、田沢湖町に通じる国道341号線に入った。熊沢川の堤防に沿ったところは、花壇が作られていて真っ赤なサルビアや黄色い菊などの花が目を楽しませてくれた。やがて耕地も人家も途切れ、上り坂が目立ってくる。秋田八幡平と呼ばれる地域に入りつつあった。この辺から一軒宿の温泉がポツポツ現れる。道から見える宿もあれば、入り口の標識だけの温泉もある。志張温泉、東トコロ温泉、銭川温泉、トコロ温泉などだ。再び綺麗な紅葉が道の両側に見られる。10時45分ころ、国道341号線から分かれる八幡平アスピーテラインの入り口に着いた。アスピーテラインは、以前は有料道路であったが現在は無料になっているとのことだった。
 国道341号線と分かれた、アスピーテラインはつづら折りの状態で、ぐんぐん高度を上げる。道路脇の綺麗な紅葉を眺めていたが、だんだん枯葉に変わってくる。やがて、道が緩やかな斜面を巻くように変わると、間もなく大沼の駐車場に着いた。10時50分であった。

 車を降りると、風が冷たい。空は相変わらず高曇り状態にある。ガイドブックには綺麗な紅葉時の写真が載っていたが、もう冬枯れの雰囲気であった。標高は940m。十和田湖が400mであるから、この差は納得できる。高山植物が目を楽しませてくれるという、沼辺の湿地帯もただ黄色一色の枯草の原である。周囲のブナの林も葉を落としていた。沼を30分かけて周遊する遊歩道があるというが、道路端から沼を見下ろすだけで済ませた。とりあえず大沼の標柱のところで、記念撮影。運転手さんがシャッターを切ってくれた。ここ大沼には、ビジターセンターの建物と、道を挟んで大沼温泉があった。自然湧出ではなくボーリングで出た温泉という。八幡平の自然を紹介する展示がされているというビジターセンターには入らなかった。


 大沼から10分。後生掛温泉の入り口に着く。温泉前の駐車場は満車に近い状態であった。一軒宿ではあるが大きい温泉で、湯治場であった名残の温泉熱を利用したオンドル式暖房の宿舎、一般旅館、大浴場のある温泉保養館などが立ち並ぶ。露天風呂の他、一人用蒸し風呂や泥湯という風変わりな温泉もあるそうだ。冬場、アスピーテラインは封鎖されるが、ここ後生掛温泉までは、入れるそうである。
 温泉にも興味があるが、今日の目的は温泉の上手の谷にある後生掛自然探求路であった。車を降りると寒い。谷を強い風が吹き抜けている。探求路の方は、白い水蒸気が上がり硫黄の匂いが漂って来る。探求路は一周約2km、40分とガイドブックに書かれていたが、100mほど入っただけで引き返した。それでも、ボコボコ熱湯が噴出している灰色に濁った小さな池を見下ろしたり、火山ガスの墳気口の穴は探求路に張られているロープの直ぐ際にもあるのを、見て帰ることができた。

 後生掛温泉を後にし、しばらく上ると蒸ノ湯の分岐があった。少し先に行くと左下方の谷に温泉の屋根が見えた。道路脇でも火山ガスと少量ながら温泉が出ていた。蒸ノ湯を過ぎると、つづら折りの道で、更にぐんぐん高度が上がる。道端には白樺が多かったがだんだん小振りな木に変わり、ダケカンバに変わりやがては針葉樹の森林限界も越えて熊笹の斜面が目立つようになる。
 後生掛温泉を出て20分、11時半に大深沢の展望台に車が停まった。冷たい風が身に染みる。展望台の標識には標高1560mと刻まれている。ゆったりした斜面の谷を隔て標高1334mの綺麗な三角形の曲崎山が良く見えるが、山腹の沢には二筋三筋白い雪が見えた。10月中旬の寒波の時の新雪の名残である。見下ろす秋田八幡平の山裾は少し霞んでいるが、赤褐色に見えて紅葉の盛りであるのを感じさせる。また運転手さんの勧めで妻と一緒に写真に写った。妻は寒さに背を丸めて写っていた。

 ここからアスピーテラインの最高点、見返峠までは直ぐであった。駐車場に車が入る。ここから沼と高層湿原が点在する標高1613mの八幡平山頂までは片道30分であるが、もうその地の美しさが味わえる時節では無い。見返峠は岩手と秋田の県境に当たる。岩手側を見下ろすと暗緑色の針葉樹のオオシラビソと白茶けたダケカンバの樹木が斑文様を成し、一面に広がっている。その中にピンクの屋根が2つ、藤七温泉彩雲荘と国民宿舎の蓬莱荘の屋根である。樹海のバックは岩手山であったが、山頂部は雲に被われて全く見えず、残念だった。
 バス停脇に売店と食堂を持つ建物があり、トイレに立ち寄った。道路からは平屋のように見えるが、階段を降りたところに売店、更に下の階が食堂という作りになっていた。道路の面のフロアは待合室を兼ね、八幡平の案内地図などが掲示されており、ストーブが燃えていた。そういえば駐車場の石垣の直下にも初雪の名残があった。
 八幡平を越えるアスピーテラインのアスピーテとは、火山の学術的な用語で日本語では盾(タテ)状火山を意味する。盾を伏せた形、つまり頂上付近は緩やかな広がりを持ち、山裾近くは傾斜が大きくなる火山のことだ。

 11時50分頃、車は見返峠を出発した。アスピーテラインは走らず、逆方向の八幡平樹海ラインを下る。運転者さんが峠で松川温泉の下の方の紅葉が見頃という情報を得たとのこと。僅かの間、稜線の秋田側を進んだ後、尾根を越えて岩手側に回り込んだ。秋田県とはお別れであった。間もなく藤七温泉の玄関先を通過する。冬場は締め切りとなる温泉である。
 車は峠から見下ろした樹海の中を下る。谷を挟み1km程離れた対岸に大きな地滑り後が見えた。余り急な斜面では無い様だが、馬蹄形に崖ができ、その中の部分は木が幾分傾いている様だが、そっくりそのまま移動したかの様に見える。火山の地質はこういう地滑りを起こし易い様である。
 さらに下ったところから、北の又川の谷の先に池と湿地が見えた。大揚沼と地図に示されている。綺麗だったのでカメラでズーミングして撮ろうかと試みたが走っている車からでは、思い付いた時には遅く、スッキリ見える場所がないまま視界から消えてしまった。
 車は下倉スキー場の展望の効くところで停車した。かなり急斜面でリフトは道路を越えて更に上に伸びている。上級者で無いとこの斜面は降りられないなと思う。秋田側で感じた寒さは和らいでいた。見下ろすと、岩手山の裾野か綺麗に尾を引き、盛岡方向のの平地に消えている。裾野の一画に芝生か牧草か緑の広がりがあり、近くには建物の屋根が集まっていた。八幡平温泉郷と呼ばれる一帯だった。スキー場のコースの両脇は自然林で、紅葉がした木々が広がっていた。下の方には初心者向けのコースもあるようだった。岩手山の裾野を右にたどると、8合目付近から上が雲に包まれたままの岩手山の姿があった。

 スキー場から1km余り、谷の上流に松川地熱発電所のコンクリートのタワーが見えた。タワーの先端からは水蒸気が吹き上がっていた。道が谷底に至ってヘアピンカーブを曲がると、松川温泉があった。ここには、松川荘、峡雲荘、松楓荘の3つの宿があるらしい。
 松川温泉から下は、紅葉が見事だった。途中いくつかの綺麗な小さな沼が見えた。絵になりそうなところもあったが、車の中からは写真は無理だった。間近だけに、ハッとしたと思うとすぐ通り過ぎてしまう。
 そのうち正面のヘアピンカーブに、素晴らしい紅葉が見えたので、車は少しバックして広いところに停まった。綺麗な木はやはりカエデであった。種類の異なるカエデが2本並んでいて、一方は濃い朱色から真紅、もう一方の木は濃いオレンジから朱色だった。バックのより大きな木は黄色や茶色、黄土色、黄緑色、さらには緑の松と、極彩色の美しさだった。カーブの中央に案内標識があった。それには「松川自然保養林、県民の森」と書かれていた。松川の谷の方に下って行く山道があり、指導票が付いていた。
 時計は12時半をまわったところであった。途中もう一度、松川の砂防ダムのところで停まり、対岸の紅葉を眺めて写真を撮った。


 12時45分。車は松川を一跨ぎする高さのある「森の大橋」上で停車した。橋に直ぐ下の紅葉が素晴らしい。脇の沢から松川の谷に滝が落ちている。赤いカエデ、明るい黄色の葉を付ける白樺、黄緑の残る木などを織り交ぜた最上の眺めに思えた。視線を上げると、極彩色の谷の中に白い砂防ダム、さらに右からの岩手山の裾野と左からの八幡平の裾野が折り重なり、その先には七時雨山が青く見える。抜群の眺めである。いつまで、眺めていても飽きないのではと思えた。橋の上流にも砂防ダムがあった。谷が深いので上流と言えど見下ろす角度である。

 橋からの眺めを楽しんでから少し走ると、自然林が途切れ、いかにも近年開発された観光地という印象の八幡平温泉郷に入った。八幡平の名を冠しているが、岩手山の裾野である。温泉郷と言っても、古い温泉街を持つ町並みとは全く異質で、広々とした野の中に瀟洒なホテルや別荘、牧場が点在している。車はやがて八幡平トラウトガーデンの前の駐車場に停まった。1時前であった。

 トラウト(trout)は英語で鱒を意味する。食後に見た金沢清水もそうだが、岩手山からの地下水が多く湧出し、その水を使ったニジマスやヤマメの釣堀をメインに、アーチュリー(洋弓)やテニス、ゴーカートもできるレクレーション施設になっている。その中にレストランがあり、そこで昼食であった。
 食堂は、ツアーの団体客を受け入れるため、いくつもの部屋に分けてあった。当然のようにマスがおかずに出る。鍋が付いていてそれは「ひっつみ」であった。ひっつみは、小麦を捏ねてちぎって煮込んだだけだが、具とスープが好い味にし上がっていた。

 食事の後、日本名水百選に加えられているという、金沢清水を見に行った。トラウトガーデンから徒歩5分ほど。淡水魚の養殖試験施設、内水面水産技術センターの一角にあった。掘抜き井戸かと思った。直径7,8mの円形の壁の中央に直径2,30cmのパイプがあり、そこから凄い勢いで水が噴き出している。1.5m程度の高さの水の柱ができている。運転手さんの説明が毎分何トンとか言っていたが忘れてしまった。記念写真をここでも撮る。井戸に蛇口が付いていたので飲んでみたが、特別の感覚は無かった。真夏ならば、冷たい水という感じがあったであろう。清水の水温は年間を通してあまり変動しないからである。
 これを書いているときにインターネットを名水百選で検索してみたら、"http://www1.sphere.ne.jp/iwate/meisui/"というホームページを見つけた。湧水量は毎秒0.7トン書かれていた。本来の湧水は裏山を5分ほど上がった所にの20mほどの池に湧き出ているのであり、見たのは距離約100mのパイプを通ってきた水のガスを抜くための噴出し口とのことが書かれていた。他にも6箇所の湧水口があるということであった。
 そう言えば噴出し口脇の表示板には、金沢清水湧水群と書かれていた。
 水産技術センターの養殖池を覗きながら、駐車場に戻った。

 運転者さんが、「このまま盛岡駅に戻っても、時間が余りますので焼走り溶岩流に寄って見ましょう」と言ってくれた。2時前にトラウトセンターを発った。同じ岩手山麓なのだが、直接通じる道路が無いようで、一旦松川を渡って麓の西根町の田園地帯まで下り、改めて岩手山に向かった。標高550m位に溶岩流の末端がある。
 この焼走溶岩流は、1719年(享保4年)の噴火で流れ出た溶岩で、標高1200m付近の2箇所から流出し長さ3kmに渡って流れ、末端部の幅は1kmに及んでいる。この溶岩流の末端に遊歩道が整備されていた。先の方には展望台があるというが、溶岩流の上に上がって見て、監視人兼案内人のお爺さんの話しを聞いただけで、引き返した。お爺さんの切れ目の無いユーモアたっぷりの話には、爆笑させられた。岩手山の山頂は、結局見られなかったが、見上げると茶褐色の樹林の中に、真っ黒な帯が網の目のように幾重にも分かれて噴出口に向かって続いていた。

 溶岩流付近も紅葉が鮮やかだった。2時半頃に、盛岡駅に出発した。麓の西根町で国道262号線に入って間もなく、国道4号線に合流した。岩手山麓の平地林の中に点在する建物など眺め、なかなか好い感じの場所だなと思っているうちに眠くなった。目が覚めたときは、盛岡市内で北上川沿いを走っていた。盛岡駅には3時10分ころの到着だった。荷物を下ろし、運転手さんに別れを告げた。

 後は、帰るだけ。素晴らしい自然を満喫した、3日間の旅もこれで終りである。思えば、天候にも環境にも恵まれた、そうそう体験できそうにない素敵な旅であった。帰らなければならないのが、残念な思いである。
 帰りのやまびこ52号は4時1分発だった。駅弁を買い込んで、乗車した。二人組みの仲間とは1列違いの席であったが、3人の人達は離れた車両だった。見ず知らずで3日前に一緒になっただけで、結局名も知らない人達であるが、この別れも何となく名残り惜しさを感じた。
 盛岡では同じ車両に大きなツアー団体客が乗りこんだ。添乗員の人が、弁当や飲み物を配っている。我々にそんなサービスは無いが、ジャンボタクシーを使った7人の旅は、きっと彼ら以上に素晴らしさを味あわせてくれたのではなかろうか。

 盛岡を出ると夕闇が迫ってきた。仙台辺りから雨粒が窓に付き始め、関東地方に近づくと強い雨の様相になった。東京駅への到着は6時51分。東海道線に乗る二人組とも別れた。新宿からは、荷物も多いし疲れもあるのでロマンスカーに乗ることにした。30分後の指定券が買えた。町田には10分近く遅れて到着だったが、江ノ島線の長後駅付近で落雷停電があった関係でダイヤが乱れているということであった。町田でバスを待って、帰宅したのは9時20分頃だった。



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